「月夜っ」
 暗い部屋に一人の男の叫びがこだました。その叫びに驚いたのか同居人である一人の女
が目を丸くさせて部屋に入ってきた。
「どうしたの?」
 男はただ息を荒くさせて一点を集中してみていた。その焦点すら危うい。肩を掴もうと
すると男は立ち上がって部屋を出ようとした。
「はやく、月夜が」
 正気を失っているらしい。そう判断した莉那は容赦なしのエルボーを男、嵐の背に見舞
った。ぐっと奇妙に呻いて倒れたのを無視してその頬を張り倒して目を見た。
「どうしたの?」
 手が早いのは夕香に似てしまったらしい。嵐はむせながらも見た映像を莉那に話して立
ち上がった。
「行ってどうするの?」
「とめる」
「教官に」
「わかっている」
 頷いて嵐は莉那と共に教官のところに走った。夜なのにばたばたとうるさいとしかる声
を期待して。
「失礼しますっ」
 叫ぶように言ってづかづかと中に入っていくと、珍しく留守だった。悪態をつきつつも
机に目を向けると置手紙があった。それに手を伸べて見ると達筆な字で明らかに嵐と莉那
に向けた内容の文字がつづられていた。
『科内、おそらくこの文を見ているときは、私はいないだろう。そのための置手紙だ。き
ちんと読むように。
 まず、ここに来たという事は、都軌也の異常を察知したという事だろう。場所はあえて
言わない。ただ、あいつは、日向の魂を取り戻しに言ったとだけ言おう。もちろん、白空
からだ。
 わかると思うが、わざと、お前に行く事を伝えなかった。あいつの事だ、匂わす事もし
ていないだろう。なぜか、わかるか? そこを良く考えておけ。
 ここから先は、村雨に読ませるように』
 そこで、一枚目の紙が終わっていた。首を傾げて莉那に紙を渡すと目を細めた。焦燥が
胸を巣食う。
「狼さん?」
「教官からの置手紙だ。読んどけ」
 拳を握って部屋の壁に叩きつけて崩れ落ちた。嵐は深く溜め息をついてもう一度床を殴
った。
「狼さん」
 莉那はそれを見て呟いたが手渡された手紙に目を移してそれを読んだ。月夜達がこの部
署に移ってから二ヶ月と少しぐらいか、その間、莉那は表向き教官の秘書として働いてい
た。裏では結構しごかれていたのだが、こちらを想ってやってくれているとわかっていた
からこれまでついてきた。元から変な人だと思っていたが、いきなり消えるような変人で
はないとわかった。何かしらの理由があるのだ。
『科内から、渡してもらったか? まあいい。いきなり消えてすまなかった。
 これはあたしが勝手に推測したものであり、もしかしたら間違っているところもあるか
も知れない。だから、そのときは必要に応じて直してくれ。
 
 白空がしようとしているのはおそらく、迷処と現世を同じ世界にする、二つを一つにし
ようとすることだ。一度、話したことがあるからわかるね?
 離れていた二つをいきなり一つにすれば世界に亀裂が入る。もしくは、崩壊する。そう
なれば、この世は黄泉の軍勢がのっとる事になる。伊邪那岐尊が妻櫛やら何やら投げ捨て
て逃げた相手だ。所詮は人の子である我らに太刀打ちできる訳がない。
 白空がやろうとしていることはそういうことだ。わかったな。
 都軌也はそれを阻止するためではなく、夕香を取り返しに行ったんだ。結果的に、阻止
する事になるだろう。
 二つの世界が結合するには莫大な労力、霊力や神気は必要になる。国産みをした伊邪那
岐尊が伊邪那美尊と交わっただろう。それがいい例だ。神が全能ならば、先に沢山の神を
産まずに天之御中主神や高御産巣日神、神産巣日神が生まれた辺りから国を造っても良か
ったんじゃないかと私は思う。
 夕香は、天狐の姫と呼ばれる、将来的に天狐の長になるべき者であり、天狐の中では最
高の神気を持つ事になる。つまり、白空は神気欲しさで夕香を連れ去ったのだと私は思っ
た。
 だが、少し、調べると、少し違った幕が開いた。そのために私は少し身を隠す事にした。
おそらく、いざこざがお前達に降りかかるだろう。絶対に逃げ切るように。必要であれば
あの術を使って目をくらますのもいいだろう。
 まあ、内部に、白空と同じことを考えたらしい馬鹿な、愚かな輩がいるらしく、共謀し、
白空が失敗しても日向を手に入れるために戦犯として追う手筈になっているらしい。何を
してでも都軌也と日向を逃がせ。
 絡んだ組織の手を解くのは時間がいるからな。戦犯が解かれる頃には計画、といってお
こうか、計画の成就の一歩手前のところだ。
 お前達は唯にげろ。ほかの事はあたしが根回しをしておく。口座を固められたら、この
口座に二千万ほど振り込んでおく。必要ならば、使ってくれ。
 今回、こんな事に巻き込んですまない。だが、さけては通れない道を今、お前達は通る
事になる。それに負けぬよう、四人で、乗り越えるんだぞ。
 近くに支えてくれる人がいるということを忘れぬように
                                  薬居 遼子』
 そこで終わっていた。初めて教官のフルネーム見たと違うところで感動した莉那は書か
れていたことに胸を打たれて深く溜め息をついて話すのはめんどくさいなと思って嵐に手
紙を渡した。
「何だって」
「ようは、この後必死こいて逃げろって言ってる。詳しくはこれを見て」
「時間が合ったらな」
 ポケットの中に紙を突っ込んで部屋を出てきちんと扉を閉めて外に出た。
 外は冷たい風が静かに揺蕩っていた。



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